自分の命を込めて考えられる人たちが 私も歳をとったときにいるだろうか?

自分の命を込めて考えられる人たちが 私も歳をとったときにいるだろうか?

自分の命を込めて考えられる人たちが 私も歳をとったときにいるだろうか?

久しぶりに子どもを連れて実家へ帰った。

相変わらず、父も母も孫に夢中。
ふたりが孫と話す楽しそうな姿をながめているのが、
私にとっての幸せな時間。

そんな母が急に、食事のあとに私を呼び止めた。

「ちょっといい?」

母が手渡したのは、一枚の便箋。
便箋には、預金している銀行の名前や預金額がびっしり書かれている。
心配性のせいか、たくさんの金融機関に預金を分散しているようだ。

「歳も歳だからね。
急に死んでしまったり、物忘れが激しくなってからだと、
分からなくなったり手間をかけるから、
今のうちに伝えておこうと思ってね。」

父も母も確かに歳をとった。
でもまだ、亡くなるというのはだいぶ先のことだと思っていたので、
その便箋を見て急に寂しい気持ちがこみ上げてきた。

「それからこれもね。」

さらに渡されたのは、2冊のオレンジ色のファイル。
中には、父と母の病気の保障や、死亡の保障がたくさん書かれていた。

死亡受取人には、私の名前。
さらにこみ上げてくるものが・・・。

「悲しい話じゃないのよ。」

母がそんな私の気持ちを察してか、切り出した。

「歳をとると、どうしても避けられないことでしょ。
だから大切な人たちに何かしてあげたい。
そう考えられる時間は、とても幸せなことでもあるのよ。」

父と母が、私や孫をどんなに大切に思っていたか、
改めて気付かされた瞬間だった。

私も歳をとったときにいるだろうか?
同じように大切に、自分の命を込めて考えられる人たちが。

「ありがとう。お母さんたちの人生って素敵だね。」

私が少し涙目で返すと、母は静かに微笑んだ。




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